サザンピーチΣ
サザンピーチΣ  あの南田操の新作小説をはじめ、新鋭精鋭の小説やエッセイ 
<富澤南桃堂(とみさわなんとうどう)発のWebマガジン>
『桃さんと僕』 南田 操
桃さんと僕    <第二回>
    桃さんと僕  〈第二回〉
 
 
 渡る風にさわやかな初夏さえ感じられる5月。本館の二階から新館へとつながる渡り廊下は、学校中で一番気持ちの良い場所かもしれない。
  今でも気に入っている、「学活ロボ クラスターHR」の最初の書き出しは、僕の通っていた静岡市立東中学校の情景でした。通称 東中(とうちゅう)は、当時県下一のマンモス校でした。一学年14クラス、あの頃は一クラス47名〜49名でしたので全校約2000名の規模です。運動場も広かったですが、50メートルプールがあったというと、他の中学校と比べても大きいと驚かれた記憶があります。
 前回は、高校2年生頃まで行ってしまいましたが、今回はもう少し中学時代を振り返らさせてください。少女マンガのことを書き始めたところ、いろいろ思い出す事が多くそれらにも触れておきたいと思ったからです。今回は桃さん登場しませんが、南田操の前史ということでご容赦くださいませ。
 
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 そもそも、マンガやアニメといった物に傾倒し始めたのもやはり中学時代だったのですが、今思うと、そうしたサブカルチャーの「黎明期」「勃興期」、今風に言えば「エマージング」な時期のパワーとか雰囲気というものにこそ、より強く惹かれたのだと思います。
 さらにその前を辿れば、小学校時代には、近所のお兄さんの影響で天体観測やプラモデル作りに嵌まり出していた時のことが思い出されます。プラモデルも間違いなく一つの勃興期をその頃迎えていたのでした。
 特に静岡は、天下に名高い田宮模型の本社所在地で、当時1/35シリーズのドイツ戦車やドイツ兵のフィギアを発売し始めた時期だったのです。細長い小型版のタミヤニュースも最初に手にいれたのが15号くらいでしたからまだ3年目? 「パチッ」と題されたファンの作品を含む戦場ジオラマ写真集は創刊号でした。田宮模型、青島文化教材社や長谷川模型、フジミの地元4社連合による1/700ウォーターラインシリーズもリリースされた時期です。とくに1/35シリーズのドイツ兵とかは、自分で彩色して加熱してポーズを変えたり、情景ジオラマを石膏で作ったりと相当入れ込みました。シュビムワーゲンとかキューベルワーゲンとか軍用自動車やBMWの軍用バイクも出色でした。「大脱走」でマックィーンが乗ったあれです。そういえば彩色は、当時は帆船模型等で著名なレベルというアメリカのプラモデルメーカーの方が高級で、そこが作るレベルカラーの方がタミヤカラーより繊細な色合いが出るといって人気でしたが、色の乗りとかで僕はタミヤカラーの愛好者でしたね。
 プラモデルという媒体を通じて戦史・戦記へと無限に世界が広がっていく感覚がまさに「黎明期」「勃興期」のダイナミズムでした。知識欲と想像欲、創作欲まで刺激されるですから。
もともと戦争物が好きだった部分もありますが、望月三起也のマンガにも随分触発されましたね。「最前線」や「タイガー陸戦隊」なども影響が大きかったと思います。生まれて初めて劇場で見た洋画が、小学4年生の時の「空軍大戦略」でした。字幕を追うのがやっとでしたが、とにかく面白かったです。
 
 そうした中で、すでに少年マンガは一定の境涯を築いており、どちらかといえば安定的な世界に見えていました。小学校1年生の時、風邪で寝込んでいる見舞いに貰った「少年画報」に嵌まりましたが、週刊マンガは、床屋さんで月に一回サンデー、マガジンをまとめ読みするくらいでした。「ジャパッシュ」に至る望月三起也作品や、「リュウの道」「ワースト」などを除き、マンガというジャンルを見なおすような強烈なインパクトを受ける作品はほとんど無い状態でした。そんな中で、中学生時代に燦然と異彩を放ったのが、「デビルマン」と「アストロ球団」でした。次号が待ち遠しい、という感覚では共通していたものの、純粋にエンターテナーとして突き抜けて行く「アストロ球団」と、人間の深淵を抉り出していこうとした「デビルマン」とでは全く対局にありました。しかし、同時期に「少年マンガ」という媒体の中でこうしたものが突出して出てきた状態に「マンガ」の躍動感、まだまだ深いエマージングなパワーを感じたのも事実でした。
 ひょっとすると「マンガ」で後世に問いかけるだけの「作品」を産み出すことが可能ではないのか?
 そんな思いを抱いて、できるものならマンガ家になってみたい、という憧れが強まった時期でもありました。
 
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 中学時代の、もう一つ特筆すべきは、やはりアニメへの目覚めでしょう。
 幼いころの「スーパージェッター」や「宇宙少年ソラン」「冒険ガボテン島」「マッハGoGoGO」「紅三四郎」そして小学生時代の「マジンガーZ」の強烈なインパクトがありましたが、それらはあくまで点集合でしかありませんでした。しかしながら中学時代の「新造人間キャシャーン」との出会い、なにより「宇宙戦艦ヤマト」の登場に、大きな衝撃を受け、そしてアニメに開眼させられたわけです。

 「新造人間キャシャーン」。アニメなるものが、一つの媒体としてマンガに匹敵する可能性のあるものだという強烈な印象を与えた作品でした。映像が動き、セリフと音、音楽によって「物語」を「主題」を語ることができる。「キャシャーン」においてそのクオリティの可能性を感じさせてくれたことで、「アニメ」恐るべし、このジャンルも注目しなければいけない、という思いが芽生えたわけです。「キャシャーン」にこれだけ思い入れを抱いた最大の理由は、人間を救うために人間を捨てたキャシャーンが人間で無いがゆえに人間から差別されるという物語の構図でした。その不条理は人間とは何か?の根源的問いかけを生みだします。「キャシャーン」の物語自体は、その答えを求める物語ではなく、アンドロ軍団との戦いの結末=勝利こそが物語だったわけです。子供向きの玩具販売促進メディアという、アニメという媒体の枠組みからしてそうでなければならなかったわけですが、少なくとも僕にとってはアニメという純粋化された世界の中で、その問いかけを正面から受け止め驚愕したわけでした。アニメにはこんなことができるのか、という驚きこそがマンガに抱いていた媒体としての可能性を、さらにひろげてくれたわけです。
 

 当時、静岡では、民放が2局しかなく、すべてのアニメを見られたわけではありませんでしたが、少なくとも放送されていたアニメは全て見ていました。「キャシャーン」の後始まった「宇宙戦艦ヤマト」にも、たちまち取り込まれてしまいました。2局しかないお蔭で、東京で名高い「ヤマト」と「ハイジ」のバッティングはなかったのですが、僕は「ハイジ」の裏番組の「猿の軍団」を見ていましたね。「ヤマト」は月曜放送だった気がします。この日は何をおいても帰宅したことを覚えています。「キャシャーン」で見いだしたアニメの可能性が、立て続けに「ヤマト」でとんでもない進化を見せてくれました。一つはSFアニメというクオリティ面です。もちろん色々突っ込み所はありましたが、少なくともSF的なセンスオブワンダーが間違いなく存在したことは、アメリカの「宇宙大作戦」に匹敵する作品を日本でも作ることが可能だと思わしめてくれました。そしてなにより、稚拙ではあったものの、作品として「愛は宇宙を救う」と高らかに語ったことでした。「メッセージ」です。「主題」を通して作り手が「語りたいこと」。この帰結部分が作品をして、本質的に作品たらしめる原動力であるわけで、それまでのアニメには明確な作者の肉声は存在していなかったと言えます。もちろんテーマがあり、語られたことはありますが、それらは全て社会通念上の子供たちに対する善導的な「標語」でしかありません。作り手のわがままなまでの主張こそが「メッセージ」なのです。メッセージには良い悪いはありません。作り手の想いが結晶しているかどうかが問題なのです。「ヤマト」のアニメ史上におけると大きな価値は、まさにそこにあると考えています。「メッセージ」語った、伝えたこと。アニメがその役割を果たしうる「作品」となったことなのです。
 もちろん、そんなことを当時考えていたわけでは当然ありませんが、とにかく強烈なインパクトとそして熱狂を与えてくれた作品だったことは間違いありません。

 
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 冒頭の東中の陸橋型の渡り廊下には、もう一つ思い出が込められています。それは、僕自身の中学時代を彩った生徒会事務局の部屋がそこにあったからです。本館に張り出す形で設けられたその部屋が、一般的にいえば大学サークルの部屋と同様のものだったのでした。大学と比するのはと怪訝に思われるでしょうが、ここがポイントでした。そう、中学校でありながら「治外法権」的な部屋だったのです。そもそも顧問なるものが不明確な状況で、かつ生徒の自主性が最大限尊重されていたので、本当にやりたい放題の部屋でした。「生徒会の仕事で」といえば、授業さえ半分くらい遅れても許してもらえる状態だったのです。2年生の後期に僕が生徒会長になってから、生徒会事務局のメンバーに親しい仲間、気の合う後輩を集めて作ってから3年卒業するまでの1年半、会長、副会長、書記長、会計長以下のメンバー10数名は、役職は変われど、ほぼ固定され、その仲間は、卒業後40年以上たってもまだ集まる仲間なのです。後輩が先日も言ってくれましたが、あの生徒会のすばらしかったところは、上級生、下級生なく全員が「君」「さん」で呼び合い、普段はだべってばかりだったのに、生徒会活動としての新機軸については面白がって次々と実績を作っていったことでした。給食時間に「生徒会アワー」なる番組をつくり、ほとんどタブー視されていた洋楽を流してみたり、近隣の中学校生徒会と交流会なるものをつくり相互訪問してみたり、あるいは歳末助け合い運動をやろうと、これも学校創設以来初の自主的な募金活動や市内の福祉施設の大掃除のボランティア隊を組成したりと・・・。なかなか活発な活動をしていたこともあり、先生方からも絶大な信頼を得て、ますます治外法権化が進んでいったわけです。
そのなかの後輩H川君(今は腎臓の専門医ですが)が、前回もお話した「フーちゃん」の紹介者でしたし、中学から大学まで一緒だった親友M本君とは「キャシャーン」の形而上性について毎週数時間ずつ語り合った中だったのです。(ちなみに、高校時代は、彼と「ラスカル」のすばらしさを毎週語りあっていましたね。)もちろん、僕が「ヤマト」のすばらしさを喧伝する中で生徒会事務局では一大人気作品になったことは言うまでもありません。

 こういうと可笑しいかもしれませんが、いわゆる大学サークルの「楽しさ」的なものをこの生徒会事務局で存分に味わってしまった感があります。まあ、オマセさんだったのかもしれません。
 そんなこんなの記憶をたどっている中で、実は、「学活ロボ クラスターHR」の一つの原像が、自分の中学時代にあったということに改めて気づいたわけなのです。
 
 さて、まだ少女マンガ話に本格的にたどり着いていないのですが、この経緯には「望月三起也ファンクラブ」が実は非常に大きく関わっています。次回は、そのあたりから。
 なにせ、連載12回予定ですので、IVA.の登場まで、もうしばらくお時間をいただきます。それではまた来月。
 
|2014.12.11 Thursday by 南田操| comments(0) | 戻る |
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